古代広告史─人類と「伝える技術」の誕生から展開まで
古代広告史─人類と「伝える技術」の誕生から展開まで

広告という言葉から、私たちがまず連想するのはテレビCM、新聞広告、ウェブバナー、SNS広告といった、近代以降のメディアを通じた情報伝達だろう。しかし、広告という営みを「誰かが何かを知らせ、注意を惹き、行動を促すためのコミュニケーション」と広く捉えるならば、その歴史はメディアの出現よりはるかに古く、文明の成立とともに始まったと考えるほうが自然である。

神戸高等商業学校教授・中川静が大正期に述べたように、広告は「社会に植えつけられたものではなく、社会に生えたもの」であり、意図的に作られた制度というより、人間が共同生活を営む中で自生的に生まれた行為である。その意味で広告の前史は、人類史そのものと重なり合っている。

本稿では、古代バビロニア・エジプトからギリシア・ローマへと連なる広告の初源をたどり、世界における広告の萌芽を比較文化的に眺めるとともに、日本の広告史の起点まで視野を広げる。さらに、広告が文明史・都市史・コミュニケーション史においてどのような意義をもつのかも補足しつつ、現代広告につながる人類の「伝える工夫」の系譜を明らかにしていく。


1|広告の起源─古代バビロニアとエジプト

広告史研究において常に論点となるのは、「どこからが広告か」という問題である。広告を、
①不特定多数への告知
②特定の行動(購入・注意喚起など)を促す意図の存在
③広告主の存在と媒体の利用
といった要素で規定すれば、17世紀の新聞広告が最初の本格的広告となる。

しかし、広告を「象徴や言語によって他者の認識と行動に働きかける実践」と広義に定義すれば、国家の碑文、商人の呼び声、都市の看板、身振り記号なども広告の原型と見なせる。コミュニケーション研究や文化人類学的な視点では後者の広義の定義を採用することが多く、古代文明の遺物は広告史研究に欠かせない資料となる。

以下、そのような広義の広告の観点から古代文明を見ていく。


1-1|古代バビロニア─楔形文字と商業社会

B.C.3000~2000年に栄えた古代バビロニアは、人類史上もっとも早く高度な文字体系(楔形文字)を発達させた文明の一つである。粘土板の表面に葦・骨・金属などの尖筆で刻む筆記方法は、後の記録媒体の原型とも言える。

●公共的記録と宣伝の境界

粘土板には、
・王が神殿を建てた記録
・戦勝を讃える碑文
・灌漑工事の完成報告
などが残されている。これらは現代的には「記録」「石碑」「プロパガンダ」と分類されるかもしれないが、王の威光を示し、大衆に認知させるという点で広告的な性質をもっていた。

●商業の発達と広告の萌芽

バビロニアは高度な商業社会であり、都市には交易所や市場が存在した。
・物々交換から銀を媒介とする取引の発達
・商人ギルドの出現
・商品規格と計量制度の整備
といった環境が整った文明では、商品の認知を広めるための「呼び声」や「印(シンボルマーク)」が自然に発生したと推測される。

例えば商人が「パーカー」と呼ばれる叫び屋を雇い、商品の到着を叫ばせたという記録もある。これは、現代の街頭宣伝やサンドイッチマンの原型に位置づけられる。


1-2|古代エジプト──世界最古の“チラシ広告”

広告史研究でしばしば言及されるのが、B.C.1000年ごろのエジプト・テーベで配られたとされるパピルスのチラシ広告である。これは世界最古の広告媒体として大英博物館に現存する。

●内容:逃亡奴隷を捜す広告

広告文は次のようなものである(要約):

「織物師ハプーの店から奴隷セムが逃亡した。
発見者には金貨を与える。
身長5フィート2インチ、赤ら顔、茶色の目。
店まで連れてきた者にはさらに金貨1枚を与える。
なお、ハプーは望み通りの上質な衣類を織る職人である。」

この広告は
①媒体(パピルス)
②広告主(ハプー)
③誘引(報酬)
④商品の宣伝(高品質の衣料)
という近代広告の基本要素を満たしており、広告史上重要な転換点である。

●パピルス文化と識字社会

古代エジプトでは文字(ヒエログリフ・デモティック)が都市生活に浸透しており、行政文書や商取引文書が膨大に残っている。この文字文化が、広告の成立を促した背景として重要である。


1-3|ロゼッタ・ストーン──広告が文明を解読した瞬間

B.C.196年に建立されたロゼッタ・ストーンは、
・象形文字(神聖文字)
・デモティック(民衆文字)
・ギリシア文字
の三言語で同一内容を刻んだ石碑であり、シャンポリオンによる象形文字解読の鍵となった。

●実態は「王の恩赦の宣伝」

内容はプトレミイ・エピファネス王が僧侶に免税措置を行ったことへの感謝を示すもので、王権の恩恵を広めるプロパガンダ(広告)の性質が強い。これが文明解読の鍵となったという事実は、広告物が後世の歴史研究に果たしうる重要性を象徴している。


1-4|叫び屋と看板──古代エジプトとカルタゴ

古代エジプトやフェニキア系都市カルタゴでは、
・商品の入荷
・船の到着
・興行の予告
を叫ぶ「叫び屋」が存在した。カルタゴでは商人がニュースを書いたシャツを着せて歩かせたとされ、これはサンドイッチマンの始祖であるとプレスブリーは述べる。


2|古代ギリシア・ローマの広告文化

ギリシアやローマにおける都市文明は、広告文化の洗練に大きく寄与した。

2-1|看板文化の発達

紀元前1世紀ごろ、ギリシアやローマの都市では、店の入口に
・ツタ=酒屋
・牛=酪農
・ラバ=パン屋
・水差しの把手=居酒屋
などの象徴的な看板が掲げられていた。識字率が低い社会では、視覚記号による広告が非常に有効であった。


2-2|ポンペイの「アルブム」──壁面広告の発展

A.D.79年のベスビオ山噴火により埋没したポンペイは、当時の広告文化を現代に伝える“タイムカプセル”である。建物の壁には「アルブム」と呼ばれる白壁が設けられ、そこに以下のような広告が書かれていた。

●典型的な広告例

・剣闘士の試合告知
・不動産の賃貸情報
・政治家への投票依頼(選挙広告)

特に選挙広告は大量に残されており、候補者名を支持者が壁に書く文化は現代の政治ポスターと機能的に類似している。


3 日本における広告の起源

日本の広告史は、世界四大文明から数千年遅れて独自の発展を遂げた。

3-1 縄文・弥生期は広告の萌芽段階

縄文文化(B.C.7300~300)は狩猟採集中心の社会で、商業活動は限定的だったため、広告文化は発達しなかった。しかし、土器の装飾や祭祀道具などに象徴的な記号文化の萌芽が見られ、象徴とコミュニケーションの観点では広告の前史と見なせる。

弥生期(B.C.300~A.D.3世紀)に稲作が広がり、ムラからクニへと社会構造が複雑化するにつれて、定期市が形成される。


3-2|「市」の誕生と広告の萌芽

5世紀、応神天皇の時代に「軽市」が立てられたと記録されている。市では、商人が声を張り上げて商品を売る「振れ売り」が行われていた。これは世界各地で見られる広告の初期形態である。


3-3|『令義解』に見る日本最古の看板制度

718年の養老律令を解説した『令義解』の「関市令」には次のようにある。

「凡そ市には店毎に標(しるし)を立て、行名を題せ」

つまり、店ごとに看板=扱う商品名を掲げよ、という指示である。これが文献上確認できる日本最古の屋外広告とされる。


4|広告の文化史的意義─広告と文明の共進化

古代の広告を俯瞰すると、広告の発生条件には以下の文明要素が不可欠であることがわかる。

4-1|都市の成立

都市とは、
・人口が集中し
・商業が行われ
・社会階層が多様化し
・公共空間が発達した場
である。ここでは情報の非対称性が大きくなり、「知らせる」必要が生まれる。


4-2|文字と記号文化の発達

文字の発明は広告文化の質を劇的に向上させた。非識字社会では絵や叫び声が中心だが、識字社会では
・価格表
・法令
・商標
・看板
など高度な広告が可能になる。


4-3|権力・商業・宗教の存在

広告の初期形態は、大きく
・王権の広報(碑文・勅令)
・商人の宣伝(叫び屋・看板)
・宗教的告知(祭礼・神殿の銘文)
に分かれる。広告はこれら三領域とともに発達してきた。


5|古代広告の技術と工夫

5-1|視覚的広告

・看板
・象徴的記号(ツタ・牛・ラバ)
・壁画、モザイク

5-2|聴覚的広告

・市の叫び声
・行商人の呼び声
・儀礼的アナウンス

5-3|媒体の利用

・粘土板
・石碑
・パピルス
・壁(アルブム)

これらは「マスメディア」が誕生する以前の情報伝達手段であり、人類が“メディアの制約の中で最適化した工夫”を示している。


6|古代から現代への連続性

古代広告と現代広告には共通する本質がある。

6-1|認知 → 関心 → 行動 という構造

現代のAIDMA(注意→興味→欲求→記憶→行動)理論の原型が古代広告にも見られる。

6-2|媒体と技術の革新が広告を進化させる

・粘土 → 紙
・壁 → 印刷物
・声 → 放送
・看板 → インターネット
といった変化が、広告の質と範囲を拡大してきた。

6-3|社会の複雑化は広告需要を高める

都市化・商業化・国家形成が広告を必要とする。逆に、人間が共同体で暮らす限り、広告は必然的に生まれる。


7|広告は文明を映す鏡である

古代バビロニアの粘土板、エジプトのパピルス、ローマのアルブム、日本の令義解——これらはいずれも“広告の萌芽”を示す重要な資料である。

広告は単なる商業活動の付属物ではない。

広告は、文明が自らの情報をどのように管理し、共有し、広めるかを示すコミュニケーション技術そのものである。

・都市の成立
・文字の発達
・商業経済の拡大
・権力の正当化
・宗教儀礼の周知
など、文明の中核的要素すべてが広告の発生と密接に関係している。

そして、世界最古のチラシ広告も、ロゼッタ・ストーンも、ポンペイの壁面広告も、いずれも「自分の伝えたいことを、より効果的に他者に届ける」という人類普遍の営みの痕跡である。

現代でも、TVCM、SNS広告、AIターゲティング広告に至るまで、人類は広告を進化させ続けている。しかし、その基本構造は古代と変わらない。広告は文明の鏡であり、社会の変化を映し、人間の欲求と価値観を可視化する装置なのである。

古代広告史を学ぶことは、人類がどのように世界を理解し、関わり、そして互いに影響を与えようとしてきたかを知ることであり、現代のコミュニケーションの本質を理解する重要な手がかりとなる。