中世の広告―暗黒時代に芽生えた宣伝の系譜
中世の広告―暗黒時代に芽生えた宣伝の系譜

「広告」という言葉は近代になって成立したものだが、人類が他者に情報を伝えようとする営みは太古から存在した。古代エジプトのパピルスによる「逃亡奴隷の捜索広告」や、バビロニアの都市空間に掲示された識別用シンボルはその象徴的な例である。しかし、古代の文明が崩壊した後、ヨーロッパは長らく「中世(Middle Ages)」と呼ばれる時代に入り、読み書き能力は縮小し、都市文化も衰退した。その中で広告はどのように生き延び、どのように発達したのか。

本稿では、古代から中世への断絶、その後の再生過程を踏まえつつ、ヨーロッパと日本における広告の展開を丁寧にたどる。

広告史研究は、単に「宣伝の歴史」ではなく、社会構造・政治権力・文化的価値観・識字率・都市発展といった複数の要因が複雑に絡む学際的領域である。中世の広告現象を理解することは、社会がどのように自らを組織し、情報を伝達し、人々の注意をめぐって競争してきたかを知るうえで極めて重要である。


1|中世ヨーロッパ―「暗黒時代」における広告のかたち

1-1|ローマ帝国崩壊後の情報伝達の後退

476年の西ローマ帝国の滅亡は、ヨーロッパの社会経済構造を大きく変化させた。
都市は衰退し、長距離交易は縮小し、貨幣経済は崩れ、封建領主の支配が強まった。

この状況は広告の発達に大きく影響した。

●識字率の低下

・文字を読み書きできるのは主に聖職者(司祭、修道僧)のみ
・一般の民衆は文字を理解できないため、文字を用いた広告は成立しなかった

当時の騎士階級は「剣を使う者はペンを使わない」ことを誇りにすらしていた。これは象徴的であり、情報伝達が主に口頭で行われていたことがわかる。

●「暗黒時代」観の再評価

近年の歴史研究では、中世を一概に「暗黒」とはしないが、情報伝達制度が古代より後退したこと自体は確かである。

したがって、広告も単純化され、声・音・象徴的な記号が中心となる。


1-2|叫び屋(タウン・クライアー)の活躍

読み書きできない社会で、もっとも重要な広告手段となったのが叫び屋である。

●叫び屋とは

・街角で鐘や笛を鳴らしながら情報を告知する専門職
・政府の布告、祭りの開催、商品情報などを読み上げる
・地方領主や都市自治体から許可を得た、公認の情報伝達者である

●フランス・ベリー州の「叫び屋組合」

1141年、ルイ7世はベリー州の12人の叫び屋に独占的営業権を与えた。
これは、

  • 叫び屋が組織化され
  • 公権力が情報独占を管理するための制度が整い
  • 広告の職業化が進んだ

ことを意味する。

現代で言えば、広告業者に「州独占」ライセンスを与えるようなものである。

●酒場との提携広告

叫び屋は居酒屋と契約し、
・笛や角笛を鳴らして客を集め
・試飲させながら宣伝し
・商品の魅力を語る

これは原始的な「プロモーションイベント」であり、サンプル配布広告の先駆けとみなせる。


1-3|ハンザ同盟の台頭――都市経済の再生と広告文化の復活

1200年代、バルト海沿岸の都市が結束してハンザ同盟を結成した。
やがて70都市ほどが加盟し、ヨーロッパ北部で最大の経済圏を形成した。

●ハンザ同盟が広告にもたらしたもの

  1. 海上交易の発達
     遠隔地の商品流通が活性化し、商人が自らの商品を宣伝する必要性が増えた。
  2. 都市の再興と市場の発展
     人口が集まり、競争が生まれ、宣伝の重要度が高まる。
  3. 郵便制度の原初形態
     同盟は通信制度を整備し、遠隔地に情報を届ける仕組みを作った
     これは広告の基盤となる「情報インフラ」の整備である。
  4. ギルド制度の発達
     商人や職人が仲間内で情報共有するため、シンボルや規格化された看板が活用された。

ハンザ同盟は中世後期の「商業革命」の中心であり、広告文化が再び複雑化していく契機となった。


2|中世日本―鎌倉・室町期の広告文化の発達

2-1|平安~鎌倉期:都市の発達と商業の本格化

中国に比べ、日本の文字文化は早く根付いた。
そのため、ヨーロッパよりはるかに早い時期に文字を用いた看板や表示が利用された。

●鎌倉幕府による商人制度

1215年:幕府が鎌倉の商人の人数を定める
1251年:商区を設定し、都市の商業機能を制度化

鎌倉は日本初の本格的「武家都市」であり、商業と広告がまとまりを持つようになる。


2-2|室町時代:屋号文化と暖簾の発展

14世紀以降、町場の経済は大きく発展し、広告も特定のスタイルを獲得していく。

●屋号の登場(1371年)

足利義満の時代、暖簾に屋号を記すようになった。

暖簾=店舗広告の原型
・店の信用を示す
・商人のブランドを象徴
・識字率が一定ある社会だから成立した

●振売り(売り声広告)

庶民市場が広がると、商品を担いで売り歩く「振売り」が活発化。
売り声は広告の一種であり、日本では古くから

  • 物の名前
  • 売り手の特徴
  • その日の特価や魅力

を歌うように伝える文化が育った。

江戸で洗練された「呼び声広告」の原型である。


3|ヨーロッパと日本の広告比較

3-1|識字率と宗教の影響

ヨーロッパ:
・キリスト教教会が文字文化を独占
・民衆は文字を読めず、広告は口頭中心

日本:
・漢字文化が早期に普及
・寺子屋教育などにより、江戸期には識字率が欧州を上回る
→看板・暖簾・張り紙など文字広告が発達


3-2|都市構造の違い

ヨーロッパ:
・ローマ以後の都市崩壊
・中世前半は小村・農村が中心

日本:
・京都や鎌倉などの都市が継続して栄え、市場が発達
・都市空間が広告を育てた


3-3|経済の発展段階

ヨーロッパは封建領主制が強固で、貨幣経済の回復に時間がかかった。
日本は銅銭や輸入銭が普及し、市場経済が比較的安定。

この差が広告への投資可能性に影響した。


4|広告史から見える社会変動

4-1|広告は「市場と情報の自由度」の指標

広告は市場の活性度と密接に紐づく。
広告の発達には、

  • 商品が多様化し
  • 市場競争が激しくなり
  • 消費者が比較選択する

という環境が必要である。

中世の広告が限定的だった背景には、
市場の未成熟・読み書き能力の制限・権力の情報独占があった。


4-2|情報インフラが広告を変える

ハンザ同盟が郵便制度を整備したように、
通信インフラの発展は広告の大革新をもたらす

現代のインターネット広告に至るまで、
広告の歴史は常に通信手段とともに進歩してきた。


4-3|暖簾・屋号は「ブランド」の始まり

中世日本の暖簾は、いまのロゴやブランドエクイティに相当する。

・品質保証
・信用の蓄積
・顧客との関係性

これらは現代マーケティングの概念にも通じる。


5|中世広告の意義と現代への継承

中世は「広告の暗黒時代」ではなく、
広告の起源が多様に分岐し、後の近代広告へ連なっていく準備の時期であった。

5-1|ヨーロッパの特徴

  • 読み書きできない社会 → 叫び屋中心の口頭広告
  • 都市再生によりハンザ同盟が広告文化を復活
  • ギルドやシンボルマークによる初期のブランド形成

5-2|日本の特徴

  • 早期からの文字文化 → 看板・暖簾が発達
  • 都市の継続性に支えられた商業活動
  • 屋号文化と振売りの発展

5-3|共通する本質

いずれも広告とは、
社会の情報の流れ、経済の活力、人々の生活スタイルの反映である。

広告を分析することは、
社会の構造を理解する一つの優れた方法であるといえる。